1990年代後半から2000年前後のインターネットを知っている人なら、「ダイヤルアップ接続のピーガガガという音」「23時からテレホーダイ」「画像が上から少しずつ表示される」といった思い出を聞いたことがあるでしょう。
しかし、そのさらに前となる1980年代から1990年代前半は、現在のWeb中心のインターネットとはかなり違う世界でした。PC-9801、MSXなどのパソコンが使われ、通信の世界ではNIFTY-Serve、PC-VAN、ASCII-NET、草の根BBSなどの「パソコン通信」が重要な役割を担っていました。
当時は「インターネット上の無数のサイトを見る」のではなく、電話回線で特定のホストコンピューターへ直接接続し、そのサービスの中にある掲示板・電子メール・チャット・ファイル置き場などを利用する感覚でした。
この記事では、残された公式資料や当時の記録を基に、1980年代から1990年代前半の日本でパソコンを使うこと、通信することがどのような体験だったのかを、現在との違いが分かるように整理します。個人の体験談を装うのではなく、当時よく見られた機器、サービス、使い方、費用感、文化を歴史として紹介します。
- 1980年代は「一家に1台のPC」がまだ当たり前ではなかった
- 家庭向けにはMSXという別の世界もあった
- ソフトを「雑誌から手入力する」文化があった
- データ保存はカセットテープやフロッピーディスク
- 1980年代の「ネット」は現在のWebではなくパソコン通信が中心
- NIFTY-Serveは1987年に始まった
- PC-VAN・ASCII-NET・草の根BBSなど接続先がいくつもあった
- 「ピーガガガ」はテレホーダイ以前からあった
- 300bps・1200bpsとはどれくらい遅かったのか
- 画面はWebブラウザではなく文字だらけ
- 「GO ○○」のようなコマンドを覚えて移動していた
- 通信中は電話料金が増えていく
- 一度文章を取り込んで、電話を切ってから読む
- 自動巡回ソフトが重宝された理由
- 「電話中だから家の電話が使えない」という問題もあった
- 80年代には電話回線と通信機器そのものにも変化があった
- さらに古い時代には音響カプラという機器もあった
- フリーソフトをダウンロードすること自体が大きな目的だった
- 「知らない人と文字で会話する」こと自体が新鮮だった
- ただしサービス同士は現在のWebほど自由につながっていなかった
- 実は日本のインターネット自体は1980年代から始まっていた
- Windows以前はDOSやBASICの世界だった
- 日本語表示そのものがハードウェアの重要な価値だった
- ハードディスクがなくてもパソコンは使えた
- ソフトの情報源はネット検索よりパソコン雑誌
- パソコンショップへ行くこと自体が情報収集だった
- 90年代前半になると通信速度も少しずつ高速化した
- 1990年代前半は「パソコン通信からインターネットへ」の境目
- テレホーダイ時代との最大の違いは何だった?
- 現代のSNSと意外なほど似ていた面もある
- 1980年代~90年代前半を一言で表すなら「手間そのものが体験だった」
- 当時を知らなくても現在から追体験できる
- まとめ:80年代~90年代前半は「Web以前のオンライン社会」が育った時代
1980年代は「一家に1台のPC」がまだ当たり前ではなかった
現在ではパソコンやスマートフォンが身近な生活用品になっていますが、1980年代前半のパソコンは、まだ趣味性や専門性の高い機械という面が強くありました。
NECは1979年にPC-8001を発売し、1982年には16ビットパソコンのPC-9801を発売しています。NECの公式資料によると、初代PC-9801は128KBのメモリを搭載し、価格は29万8,000円でした。現在の感覚で気軽に買える家電とは言いにくい価格帯です。
それでもPC-98シリーズは日本国内で急速に存在感を高めました。NECの社史では、PC-98シリーズの出荷台数は1987年3月までに100万台を超え、国内16ビットパソコン市場で非常に大きなシェアを持つようになったとされています。
そのため1980年代後半から1990年代前半の日本の「パソコンらしいパソコン」を語る際、PC-98シリーズは避けて通れない存在です。
家庭向けにはMSXという別の世界もあった
一方、家庭向けではMSXも重要でした。MSX規格は1983年に登場し、複数メーカーが共通規格に沿ったパソコンを発売しました。
PC-98がビジネスや本格的なパソコン用途で強かったのに対し、MSXは家庭に入りやすく、BASICによるプログラミング、ゲーム、教育用途などを通じてパソコンに触れる入口にもなりました。
当時は現在のように「Windows PCなら基本的に同じソフトが動く」という状況ではなく、PC-98、X68000、FM TOWNS、MSXなど複数のプラットフォームが存在し、対応ソフトや周辺機器も機種ごとに異なることが珍しくありませんでした。
そのためパソコン雑誌にも「PC-98用」「MSX用」といった機種別の記事・プログラム・ソフト情報が多く掲載されていました。
ソフトを「雑誌から手入力する」文化があった
1980年代を象徴する文化の一つが、パソコン雑誌に掲載されたプログラムを自分で入力することです。
雑誌にはBASICなどで書かれた数ページ、場合によってはさらに長いプログラムリストが掲載され、読者がそれをキーボードから一行ずつ入力して実行しました。
現在ならWebサイトからファイルを数秒でダウンロードできますが、当時は雑誌そのものがソフトウェアの配送手段でもあったわけです。
たった1文字入力を間違えるだけでプログラムが動かないため、リストと画面を何度も見比べてバグを探すこともありました。その過程でBASICやコンピューターの仕組みを覚えた人も少なくありません。
データ保存はカセットテープやフロッピーディスク
初期の家庭用パソコンでは、現在のSSDやUSBメモリの代わりに音楽用と似たカセットテープへプログラムを保存することもありました。
カセットへデータを記録し、あとで読み戻す方式なので、読み書きには時間がかかります。テープ位置や記録状態によっては読み込みに失敗することもありました。
その後は5インチや3.5インチのフロッピーディスクが広く使われるようになります。PC-98などでは、フロッピーからOSやアプリケーションを起動する使い方も一般的でした。
現在のパソコンではOS、アプリ、文書、写真を1台のSSDへ大量に保存できますが、当時は「どのフロッピーに何を入れてあるか」を管理すること自体が日常的な作業でした。
1980年代の「ネット」は現在のWebではなくパソコン通信が中心
1980年代後半に一般ユーザーが家庭から利用したオンラインサービスとして代表的なのがパソコン通信です。
パソコン通信では、自宅のパソコンとモデムを電話回線につなぎ、サービス事業者が用意したアクセスポイントへ電話をかけます。接続すると、そのホストコンピューター内の電子メール、掲示板、フォーラム、チャット、データベース、ファイルライブラリなどを利用できました。
JPNICも、パソコン通信について1980年代半ばから利用が始まり、アナログモデムや後のISDNなどを使って事業者のデータセンターへ接続し、電子メール、掲示板、チャット、情報サービスなどを利用する仕組みだったと説明しています。
[参照] JPNIC「家庭にインターネットを持ち込もう!~パソコン通信とインターネットの相互接続実験~」
「世界中のWebサイトにつながるインターネット」と、「一つの巨大なオンラインサービスへログインするパソコン通信」は似ているようで構造がかなり違います。
NIFTY-Serveは1987年に始まった
日本のパソコン通信を代表するサービスの一つがNIFTY-Serveです。現在の@niftyにつながるニフティの公式沿革によると、NIFTY-Serveは1987年4月15日にサービスを開始しました。
NIFTY-Serveでは電子メール、チャットのほか、特定のテーマについて利用者同士で交流する「フォーラム」が大きな特徴でした。ニフティ公式の回顧資料では、NIFTY-Serveは1987年から2006年まで提供され、1995年4月には会員数100万人を突破したと紹介されています。
パソコン、鉄道、クルマ、音楽、プログラミングなど、関心のあるテーマのフォーラムへ入り、電子会議室で文章を書き込むという文化は、後のインターネット掲示板、SNS、オンラインコミュニティにも通じるものがあります。
PC-VAN・ASCII-NET・草の根BBSなど接続先がいくつもあった
NIFTY-Serveだけがパソコン通信だったわけではありません。1980年代にはASCII-NET、PC-VANなどの商用サービスが登場し、さらに個人や団体が運営する「草の根BBS」も多数存在しました。
現代のWebではGoogleなどでサイトを検索できますが、草の根BBSでは「この電話番号へモデムで電話するとこのBBSにつながる」という世界です。
つまりBBSの電話番号そのものが重要な情報でした。パソコン雑誌、知人、別のBBSなどから番号を知り、通信ソフトへ登録して接続するという流れです。
個人運営のBBSは電話回線数が1回線しかないこともあり、その場合は誰か一人が接続中だと次の人は入れません。電話をかけても話中になり、時間を置いて再接続するということもありました。
「ピーガガガ」はテレホーダイ以前からあった
ダイヤルアップ接続特有の「ピー、ガー、ガガガ……」というモデムの接続音は、2000年前後になって突然登場したものではありません。
1980年代にもモデムを使ったパソコン通信では、電話回線を通じて相手側のモデムと通信条件を合わせて接続していました。
たとえばアイワが1986年に発売したPV-A1200というモデムは300bpsと1200bpsに対応していました。当時はATコマンドを使い、電話番号を指定して接続する機器もありました。
JPNICによるパソコン通信史の解説では、その後のパソコン通信では主として2,400~9,600bpsのアナログモデムも利用されていたとされています。
つまり「電話をかける→モデム同士が接続する→文字中心のオンラインサービスへ入る」という体験は、インターネット普及以前から存在していました。
300bps・1200bpsとはどれくらい遅かったのか
現在の光回線は1Gbps、10Gbpsといった単位で語られますが、初期のパソコン通信では300bpsや1200bpsという速度が使われました。
1,200bpsは理論上1秒あたり150バイト程度です。実際には通信制御のオーバーヘッドなどもあるため、その数字すべてをファイル転送へ使えるわけではありません。
仮に100KBのデータを1,200bps相当で送ると、理論値だけでも約11分以上かかります。現在なら一瞬に感じるサイズです。
一方、当時のパソコン通信は画像や動画ではなく文字が中心でした。日本語数行程度の掲示板なら低速回線でも利用できたため、「1200bpsでは何もできない」というわけではありませんでした。
画面はWebブラウザではなく文字だらけ
パソコン通信へ接続すると、現在のWebサイトのような写真、バナー、動画、CSSレイアウトが出てくるわけではありません。
基本的には文字のメニューが表示され、番号やコマンドを入力して目的の場所へ移動します。
*** MAIN MENU ***
1. 電子メール
2. 掲示板
3. フォーラム
4. ファイルライブラリ
5. チャット
>
実際のサービスごとに画面や操作方法は異なりますが、感覚としてはこのような文字ベースの操作です。
マウスでリンクをクリックしてページを移動する現在のWebとは異なり、キーボード中心でオンライン空間を操作する体験でした。
「GO ○○」のようなコマンドを覚えて移動していた
NIFTY-Serveでは「GO」コマンドが象徴的な操作方法として知られていました。目的のフォーラムなどへ移動するため、キーボードからコマンドを入力します。
現在なら検索欄へキーワードを入れたり、ブックマークをタップしたりしますが、当時の利用者は目的地へ素早く移動するためのコマンドやショートカットを覚えていました。
ニフティが後年公開したNIFTY-Serve体験コンテンツでも、当時を再現する特徴としてGOコマンドが採用されていました。
こうした「知っている人ほど高速に操作できる」感覚は、現在のGUI中心のサービスとはかなり違う部分です。
通信中は電話料金が増えていく
パソコン通信時代の大きな問題が電話料金です。アクセスポイントへ通常の電話をかけているため、接続している時間に応じて電話料金がかかりました。
さらにサービスによっては、電話料金とは別にパソコン通信サービス自体の利用料金も必要でした。
そのため、ずっと接続した状態で文章をゆっくり読むと、その間にも料金が増えていきます。
「オンラインで読む時間をできるだけ短くする」こと自体が、通信費節約のテクニックでした。
一度文章を取り込んで、電話を切ってから読む
通信料金を節約するため、掲示板の新着メッセージなどを接続中にまとめて取得し、その後回線を切ってからゆっくり読むという使い方が広まりました。
返信もオフライン中に文章を書いて準備し、再接続したらまとめて投稿します。
接続する
↓
新着メッセージをまとめて取得
↓
切断する
↓
オフラインでゆっくり読む
↓
返信を書く
↓
再接続
↓
まとめて送信
現在のスマートフォンでは「常時接続」が当然ですが、当時は必要なときだけオンラインになり、作業が終わったらすぐ電話を切るという発想が重要でした。
自動巡回ソフトが重宝された理由
さらに通信費を節約するため、通信ソフトに自動操作をさせる仕組みも発達しました。
接続すると自動的にメールや掲示板の新着を取得し、投稿する文章があれば送信し、処理が終わったら切断するという動作です。
人間が画面を眺めながらメニューを一つずつ操作するより、コンピューターに素早く巡回させたほうが接続時間を短くできます。
高速回線と定額通信が当たり前になった現在から見ると不思議ですが、通信時間そのものがお金だった時代ならではの工夫です。
「電話中だから家の電話が使えない」という問題もあった
一般家庭のアナログ電話回線をモデムで通信に使えば、その回線は通話中になります。
つまりパソコン通信を長時間利用していると、家族が固定電話を使えなかったり、外部から電話がかかってきても話中になったりすることがありました。
家族共用の電話回線を使っていた家庭では、「いつまで通信しているの」「電話を使いたい」といった問題が起きることも容易に想像できます。
これはスマートフォンが各人に1回線ずつある現在とは大きく異なる環境です。
80年代には電話回線と通信機器そのものにも変化があった
1985年は日本の通信史でも重要な年です。NTT東日本の資料によると、1985年4月に電気通信事業への参入が自由化され、電話機など端末設備の自由化も行われました。
日本で大規模なパソコン通信サービスが広がっていく時期も、おおむねこの1980年代半ば以降と重なっています。
現在ではLANケーブルやWi-Fiにつなぐのが当然ですが、当時のパソコン通信は電話網の上へデータ通信を載せる発想だったため、通信環境そのものが固定電話文化と密接につながっていました。
さらに古い時代には音響カプラという機器もあった
モジュラーケーブルでモデムを直接電話回線へ接続する方法が一般化する以前には、「音響カプラ」を利用する通信もありました。
電話機の受話器を装置へ載せ、受話器のスピーカーとマイクを使ってデータ信号を音として送受信します。
文字どおり電話の音声経路を使ってコンピューター同士を通信させるため、通信速度は非常に低速でした。
80年代のすべてのパソコン通信利用者が音響カプラを使っていたわけではありませんが、家庭からコンピューター通信を行う黎明期を象徴する機器の一つです。
フリーソフトをダウンロードすること自体が大きな目的だった
パソコン通信では、人との会話だけでなくソフトウェアの入手も重要な用途でした。
フォーラムやBBSには利用者が作ったフリーソフト、ツール、ドライバー、ゲームなどが登録され、それをモデム経由でダウンロードできます。
現在なら数百MBのアプリでも短時間で取得できますが、当時は通信速度が桁違いに遅いため、数十KBから数百KBのファイルでも待つ必要がありました。
それでも、雑誌付属ディスクや店頭販売以外の経路で全国の作者が作ったソフトウェアを入手できることは大きな魅力でした。
「知らない人と文字で会話する」こと自体が新鮮だった
現在ではSNS、Discord、掲示板、オンラインゲームなどを通じて知らない人と文字で会話することは珍しくありません。
しかし家庭のパソコンがまだ孤立した機械だった時代、電話回線をつないだ瞬間に遠く離れた利用者の書き込みを読めることは非常に新鮮な体験でした。
同じパソコン、同じゲーム、鉄道、音楽など共通の趣味を持つ人が地域を越えて集まれるフォーラムは、現在のオンラインコミュニティやSNSグループに近い役割を持っていました。
この点では、技術こそ変わっても「同じ趣味の人をオンラインで探して交流する」という文化は現代と驚くほど共通しています。
ただしサービス同士は現在のWebほど自由につながっていなかった
現在のインターネットでは、どのISPを契約していても同じWebサイトへアクセスできます。Gmail利用者から別会社のメールサービスへ送ることも当然です。
初期のパソコン通信はもっと閉じた世界でした。NIFTY-Serveの利用者はNIFTY-Serveという一つのシステムへ入り、別のパソコン通信サービスは別の世界として存在していました。
日本のインターネット黎明期に関する記録でも、PC-VAN、ASCII-NET、NIFTY-Serveなどの利用者が当初はサービスを越えて自由に電子メール交換できなかったことが説明されています。
ニフティ公式沿革によると、NIFTY-ServeがWIDEインターネットとの相互接続実験を開始したのは1992年9月でした。
この「個別の閉じたネットワーク」から、「ネットワーク同士が相互につながるインターネット」への変化は大きな転換点でした。
実は日本のインターネット自体は1980年代から始まっていた
「80年代はパソコン通信、90年代後半からインターネット」と単純に区切ると、歴史的には正確ではありません。
日本では1984年に大学間ネットワークJUNETが始まり、東京大学、東京工業大学、慶應義塾大学などがネットワークで接続されました。NTT東日本も1984年を日本におけるインターネットの始まりとして紹介しています。
つまりインターネットそのものは存在していましたが、1980年代の一般家庭にとって身近なオンライン体験は、商用パソコン通信や草の根BBSのほうでした。
大学・研究機関を中心としたネットワークと、家庭から利用されるパソコン通信が並行して成長し、1990年代に両者の距離が縮まっていったと考えると分かりやすいでしょう。
Windows以前はDOSやBASICの世界だった
現在のパソコンでは、起動するとデスクトップ画面が出てきて、マウスでアプリを選ぶのが一般的です。
1980年代から90年代前半のPC-98では、MS-DOSを利用する環境も広く普及しました。黒や青を基調とした文字画面でコマンドを入力し、アプリケーションを起動する使い方が珍しくありませんでした。
A>DIR
A>CD TOOL
A>PROGRAM.EXE
現在のGUIに慣れている人から見ると難しそうですが、当時の利用者にとってファイル名やディレクトリを意識して操作することは日常でした。
一方、MSXなどではBASICが起動してプログラムを入力できる環境も身近でした。「パソコンを買う=プログラミングにも触れる」という距離感が現在より近かった時代です。
日本語表示そのものがハードウェアの重要な価値だった
現在は数千円の端末でも日本語を当然のように表示できますが、80年代のパソコンでは漢字をどう表示するか自体が重要な技術でした。
初代PC-9801でも漢字ROMが重要な周辺・構成要素でした。NECはPC-9801が日本語処理を重視した機種だったことを公式の歴史資料で紹介しています。
通信でも同様で、初期には英文や半角カナ中心の環境があり、その後漢字通信が普及していきました。
「日本語をきれいに表示できる」「漢字を扱える」ということ自体が、パソコン選びや通信環境の大きなポイントだったのです。
ハードディスクがなくてもパソコンは使えた
現在はストレージがないパソコンを想像しにくいですが、1980年代にはハードディスクを搭載していないパソコンも一般的でした。
OSやソフトをフロッピーディスクから起動し、データも別のフロッピーディスクへ保存します。
複数のソフトを使うときにはディスクを交換する場面もありました。ゲームで「DISK Bを入れてください」と表示されて交換する、といった体験も当時ならではです。
ハードディスクは存在していましたが高価で、容量も現在とは比較にならないほど小さいものでした。数十MBという容量でも大きなストレージとして扱われる時代でした。
ソフトの情報源はネット検索よりパソコン雑誌
1980年代から90年代前半は、分からないことをGoogleで検索することはできません。
新しいハードウェア、ソフトウェア、プログラミング、ゲーム、通信方法などの情報は、パソコン雑誌や書籍が重要な情報源でした。
雑誌を読みながら設定し、うまく動かなければ翌月号の訂正記事を確認することもあります。
一方、パソコン通信が普及するとフォーラムで詳しい利用者へ質問できるようになり、「詳しい人からオンラインで回答をもらう」という現在のQ&Aサイトに近い文化も生まれていきました。
パソコンショップへ行くこと自体が情報収集だった
秋葉原などのパソコンショップも重要な情報源でした。
周辺機器やソフトの現物を見たり、店員に聞いたり、店頭に置かれたチラシやカタログを持ち帰ったりすることが情報収集になります。
価格比較サイトがないため、複数店舗を歩いて値段を比較するという行動も現在より重要でした。
「パソコンを買って自宅で全部調べる」のではなく、雑誌、ショップ、知人、パソコン通信などを組み合わせて情報を集める時代だったといえます。
90年代前半になると通信速度も少しずつ高速化した
1980年代の300bps・1200bps級から、2400bps、9600bps、さらに14.4kbpsなどへモデムは高速化していきました。
速度が数倍になると、文字だけでなくファイルのダウンロード時間にも大きな違いが出ます。そのため新しい高速モデムへ買い替えることには、現在の高速回線への乗り換えに近い魅力がありました。
それでも現代のMbps・Gbpsとは桁がまったく異なります。たとえば9,600bpsは約0.0096Mbpsです。
だからこそ当時のオンラインサービスはテキストを中心に成立していました。
1990年代前半は「パソコン通信からインターネットへ」の境目
1990年代前半になると、日本でも商用インターネット接続が始まり、パソコン通信とインターネットが徐々に接近します。
NIFTY-Serveでは1992年にWIDEインターネットとの相互接続実験を開始しています。1990年代半ばにはWindows 95やWebブラウザの普及も重なり、家庭のオンライン利用は大きく変化していきました。
そのため1992~1995年前後は、古くからのパソコン通信文化と、新しく拡大するインターネット文化が重なっていた興味深い時期です。
「パソコン通信がある日突然消えてWebへ変わった」のではなく、両方を併用する期間を経て、徐々にインターネットが主役になりました。
テレホーダイ時代との最大の違いは何だった?
1990年代後半から有名になったテレホーダイでは、指定電話番号への深夜時間帯の通話を定額化できたため、23時以降に長時間インターネットへ接続する利用者が増えました。
それより前のパソコン通信では、接続時間を短縮して電話料金・サービス利用料を節約する意識がより強く、オフラインで文章を読む、返信を事前作成する、自動巡回する、といった利用方法が発達しました。
つまり両時代とも電話回線とモデムを使う点は似ていますが、1980年代から90年代前半は「オンライン時間をいかに短くするか」がより重要だったと考えると、その空気感をつかみやすいでしょう。
現代のSNSと意外なほど似ていた面もある
技術的には大きく違いますが、人間の行動を見ると現代との共通点も多くあります。
| パソコン通信時代 | 現在に近いもの |
|---|---|
| 電子会議室・掲示板 | 掲示板・SNS・Discord |
| フォーラム | オンラインコミュニティ |
| ハンドル名 | SNSのユーザー名 |
| 電子メール | メール・DM |
| チャット | リアルタイムチャット |
| ファイルライブラリ | ソフト配布サイト・GitHubなど |
| シスオペ | コミュニティ管理者・モデレーター |
技術は文字端末からスマートフォンへ劇的に進化しましたが、「同じ趣味の人と話したい」「自分の作ったものを公開したい」「詳しい人へ質問したい」といったオンラインコミュニティの基本的な欲求はあまり変わっていません。
1980年代~90年代前半を一言で表すなら「手間そのものが体験だった」
現在はパソコンやスマートフォンの目的を達成するまでの手間を可能な限り減らす方向へ進化しています。
一方、当時はパソコンを買う、ケーブルを接続する、通信設定をする、モデムへコマンドを送る、電話をかける、接続先の操作方法を覚える、ファイルを保存する、といった一つ一つの工程に利用者が関わる必要がありました。
面倒ではありますが、その分「何が起きているのか」が見えやすく、通信が成功して遠隔地のホストの文字が画面へ流れてきたこと自体に大きな達成感を感じられる時代でもありました。
この感覚は、常時接続・自動設定が当たり前になった現在との最大の違いの一つかもしれません。
当時を知らなくても現在から追体験できる
20代などリアルタイムでこの時代を経験していなくても、当時の文化を知る資料は現在も残っています。
NECの企業史からPC-98の歴史を確認でき、ニフティの公式沿革からNIFTY-Serveの変遷を追うことができます。またJPNICには、日本のインターネットとパソコン通信の接続に関する当事者による詳しい記録があります。
古いPC-98やMSX、モデムの実機映像などもあわせて見ると、「スマートフォン以前」どころか「Web以前」のコンピューター文化をより具体的にイメージできます。
まとめ:80年代~90年代前半は「Web以前のオンライン社会」が育った時代
1980年代から1990年代前半の日本では、PC-98やMSXなど現在とは異なるパソコン環境が存在し、データはカセットテープやフロッピーディスクへ保存され、パソコン雑誌やショップが重要な情報源になっていました。
オンラインの世界では、現在のWebブラウザで無数のサイトを巡回するのではなく、モデムから電話をかけてNIFTY-Serve、PC-VAN、ASCII-NET、草の根BBSなど個別のホストへ接続する「パソコン通信」が中心でした。
モデムの接続音もすでに存在し、300bps、1200bps、2400bps、9600bpsなど現在から見れば非常に低速な回線で、電子メール、掲示板、フォーラム、チャット、フリーソフトのダウンロードなどが行われていました。
当時ならではの最大の特徴は、通信時間に電話料金がかかるため、「必要な情報を高速で取得して切断し、オフラインで読む」という使い方が合理的だったことです。常時接続が当たり前の現代とは正反対ともいえる文化です。
また、パソコン通信はインターネットそのものではありません。日本では1984年から大学などを中心にインターネットの前身となるネットワークが動き始める一方、家庭ユーザーにはパソコン通信が広がり、1990年代前半から両者が徐々につながっていきました。
そして興味深いことに、掲示板で会話する、ハンドル名を使う、趣味ごとのコミュニティへ参加する、詳しい人へ質問する、作ったソフトを公開するといった文化は、現在のSNSやオンラインコミュニティにもそのまま通じます。
機械や速度は大きく変わりましたが、1980年代から90年代前半は、現在につながる「ネット上で人と出会い、知識や作品を交換する文化」が一般家庭へ入り始めた時代だったといえるでしょう。


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