「SNSでいいねをたくさんもらっている人=本当に充実している人」という印象を抱いた経験はありませんか?一方で、「SNSは虚像だ」「見栄えだけ」「現実の方が大変」などといった反論も耳にします。本記事では、SNS上の“輝き”が実情とどう関わっているか、どんな見方を持つべきかを多角的に解説します。
SNS投稿が“光って見える”メカニズム
まず押さえておきたいのは、投稿が「輝いて見える」理由にはいくつかの構造的な要因があります。
たとえば、ユーザーは自分の見せたい側面を意図的に投稿する傾向があるため、日常のネガティブな部分や無名の部分は投稿されにくいという傾向があります。 [参照]
さらに、投稿が「いいね」や「フォロワー数」という数字に直結しやすいSNSでは、視覚的に魅力的な瞬間=支持されやすいコンテンツとして強調されやすいという特徴もあります。 [参照]
「いいね多数=本当に充実」という見方の限界
次に、いいねやフォロワー数などの“数値”が実情をそのまま反映しているわけではない点を整理します。
研究では、「オンラインでの自己演出(self‑curation)」が実際の生活経験と乖離する場合があると指摘されています。 [参照]
例えば、投稿内容が美男美女やタレント並みに見える人でも、日常的には努力や制限、裏側の苦労を抱えていることは少なくありません。また、「いいねが多い=安心・幸せ・充実」というわけでもなく、逆に評価によるストレスや比較意識を抱えるケースもあります。
本当に充実している人の“見える化”と“見えない化”
では、いいねを多く得ている人=本当に充実していると言えるのでしょうか?その実態を「見える部分」と「見えない部分」で整理します。
例えば、美男美女や歌・ダンス・絵など何かしら“芸”を極めて投稿している人は、〈投稿に価値がある〉という文脈が作りやすいため、魅力的に映る傾向があります。しかしその背景には長時間の練習、SNS以外での活動、試行錯誤など「普段投稿されない負荷」があることも多いです。
つまり、投稿で見えるのは“完成形”であって、その人の全てではありません。反面、「裏側を全面に出さない」という選択が、投稿を通じて支持を集める戦略として機能しているとも言えます。
SNS批判とSNS礼賛、その間にある中立的視点
あなたが感じているように、「SNSを辞めたら良いことしかなかった」「SNSをやっている人は見栄っ張り」などの主張には、反発を抱く人も少なくありません。そして、「批判する側=満たされていないから」といった見方も確かに議論に上がります。
重要なのは、SNSを使うこと自体が善・悪のどちらかではなく、「使い方」「目的」「視点」が鍵だということです。SNSを単なる承認欲求肥大化の場と捉えるか、自己表現・発信・コミュニティ構築の場と捉えるかで、捉え方は大きく変わります。
自分らしくSNSを楽しみつつ、他人の“輝き”をどう見ればいいか
では、実際にSNSを楽しむため、そして他人の投稿を見たときに感じる“もやもや”を減らすための視点を紹介します。
- 自分の目的を明確にする:例えば「趣味仲間と交流する」「作品を発信したい」「日記的に残したい」など、自分の軸を持つことで投稿や他人の投稿を見る際にブレが少なくなります。
- 比較対象を選ばない/少なくする:フォローする人・コンテンツを「自分の成長に役立つ」「気分が上がる」と感じるものに限定すると、承認数=充実と直結しにくくなります。
- 投稿の裏側・プロセスを想像する:例えば「この投稿の背景には何かしらの努力があるんだろうな」と思えると、見える“完成形”だけでモチベーションを下げることが少なくなります。
まとめ
SNSで「いいね多数」「美男美女」「芸を極めた投稿者」が支持されているのは確かに事実です。しかし、それがそのまま「本当にその人が日常的に充実している」という証明にはなりません。
大切なのは、投稿として見えている表情と、背後にあるプロセス・文脈・目的を分けて見る視点を持つことです。そして、あなた自身がSNSで何を楽しみ、何を発信したいかを定めることで、「他人の投稿」も「自分の投稿」も、より健やかに楽しめるようになります。


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